桜咲く こんな男の子が今の日本にいることを知って欲しい!
- 相談窓口から、桜舞う季節にあわせ、小さなひとつの人生が始まった。
- そのうちにぽつりぽつりと語ってくれた。それはとても理解の度合いを越えていた。
- この子が就職につながる道はとても簡単だった。
- 結果までは速かった。
- またひとり、日本でひとりの若者が、令和の時代に、仕事を、人生を、始めた。
おはようございます
就職支援の甚平です
子供の貧困と言われるけれど こんなに辛い目をした若者と実際に出会ったことに驚き、
しっかり自立をしてくれた事に安堵し、
その子のこれからのことを思うととてもうれしく明るくなる そんな出会いがありました。
相談窓口から、桜舞う季節にあわせ、小さなひとつの人生が始まった。
2月 17歳の男の子が疲れた顔で就職の相談窓口にやってきた。
「仕事がしたくて、 何回も応募しているけれど どこの会社も僕を雇ってくれません
やっぱり僕の 中卒と言う学歴がダメなんでしょうか」
話によると中学校卒業以来、仕事はラーメン店やコンビニのパートの経験のみ
相談デスクではしっかりと受け答えもできハキハキしている性格なので、採用まで至らないのが不思議でもったいない気がする。
正社員になりたくて応募はするものの、なかなか応募書類が通過しない。
たまに面接に呼ばれても、会社からなぜ中卒、今まで何していたのと問い詰められているような気がしてうまく応えられないようだ。
そのうちにぽつりぽつりと語ってくれた。それはとても理解の度合いを越えていた。
「自分は、母子家庭の子供、お母さんによると父は競馬やお酒でほとんど収入もなく僕の小さいころに家を離れていったらしい。
父の記憶は消えました。
そのうち、お母さんが精神病になって、僕は 小学校 中学校のほとんどを施設で暮らしました。 そんな環境だったので勉強とか進学とか 考えた事はありません。 でも自分で生きていくため 、仕事がしたいんです」
この男の子、 父がいて母がいる そんな当たり前の環境の友だちばかりに囲まれてきた。
羨ましい、情けない、恥ずかしいという気持ちで、可能な限り自分の境遇は話さないようにしてきたと言う。
話してもつらくなるだけ、ましてや会社の面接でそんな境遇を一切語ろうとはしなかったことがわかった 。
この子が就職につながる道はとても簡単だった。
少年と相談、そしてすぐ理解してくれた。
次の応募では、今までたどってきたその環境は自分の責任ではないのだから ありのままを話す事、
言いにくいだろうけれど、父の事、母の病気の事、施設の事もすべて話すこと、
そしてだからこそ自分はしっかり働いて生きるためのお金が欲しい事まで、話すこと。
その前に、書類応募の段階からそのことを記すること。
結果までは速かった。
もともと しっかりと生きてきた子供なのですぐに食品工場のライン 正社員の仕事が決まった。
この4月から、年上の高卒の後輩も迎えることになり、生産の仕事に明るく取り組んでいる彼の姿がある。
仕事はどう?と職場フォロー巡回の時に聞いてみた。
真っ白な粉まみれになりますがとても頑張れます。これからお母さんの病気も直してあげたいと思っています。僕はお母さんの病気を治すんです。
お母さんの病気は難しい病気ではあるが、
この息子なら、必ずお母さんの病気は治せると確信できた。
またひとり、日本でひとりの若者が、令和の時代に、仕事を、人生を、始めた。