人間に疲れたら、死にゆく愛犬と中村久子さんを思ってみよう
電話の向こうで泣いている
精神2級 躁鬱性障害 27歳の女性
強く自立したいと願っていても どの仕事もうまくいかない、飲み込みが悪く迷惑をかける、短気で何回も教えるのを嫌がる人からいじめに会う 職種もいろいろ変えてみたけど同じことの繰り返しばかり 何をやってもできない あの子ほんとにだめだよ 使えない、解雇を言い渡される
死にたいと思ったら と書いていたので いのちの電話に電話した 何度かけてもつながらないところだ やっとつながったと思ったらそんなにぐずぐず考えてるからダメなんだと言われて相手の人がほんとに怖くなった 命を縮めるような電話だった 本当に死にたくなりました
私どうしたらいいんでしょう もう頼るところがないんです とまた電話をかけてきてくれた
僕の窓口 僕の相談だけでは限界があるのでいろいろ就労支援機関や病院、社会福祉協議会等 思い当たる支援先を紹介 連携してきた
それでもまた駄目 今この電話だけでつながっている人
辛いことがいっぱい でもあなたのためにまだ何もできていない僕もつらい
人間として生きていくことは辛いことがいっぱいあるよね
老犬ウィズ の事を年末に書いた 涙を流してくれた人もいた
https://blog.hatena.ne.jp/ROUJINBEI/roujinbei.hatenablog.com/edit?entry=10257846132693458869
もうすぐ死ぬんだ 死んでしまうんだと思っていたが 今 3月 命の炎を小さく細く灯し続けている 女房はこの命を最後まできちんと守ってあげようね 全うさせてあげようねと言っている
このウィズを見てて感じること
僕は人間でよかった 人間に生まれてきて良かった としみじみ思う
ウィズはとても素晴らしい犬 ゴールデンレトリバー この上なく優しく頭が良くかっこもいい
withと名付け 私たち家族と 山へ 海へ いつもいっしょ 誰からも愛された
だけどいくら素晴らしくてもやっぱりwithは犬
お話ができない 今日が楽しかったという感想を言って喜びあうことができない 文字を覚え 本を読んでこの世の中のここを知ることもできない 学校に行くことも海外に旅行することもできない
with 次に生まれてくる時は人間で生まれてきて欲しい 人間同士で会っていっぱい話をして泣きながら笑いながら一緒に生活したいと思う
人間だからこそ人間としての生き方ができる
僕は 人間に生まれてきて良かったと思う
中村久子さんという人がいたことを初めて知った
明治30年に生まれたが3歳の時にしもやけから脱疽という病気にかかり両手と両足を失うという痛ましい出来事にあつた
可愛がってくれた父が7歳のときに亡くなって、母と2人
昔のことだから身体障害者に対する理解はなく世間は誠に冷たいものがあった
何かのたたりが罰が当たったと考えられ
身を隠すような日々を送っていたという
お母さんは彼女のためにそれでもひとりで生きていく事をさせねばならないと思いとても厳しいしつけをした
母のおかげで彼女は食事トイレ風呂裁縫炊事洗濯など日常の事は 手も足もない体で何でもできるようになった
大きくなってからの彼女のなりわいは見世物小屋の芸人であった
だるま娘と呼ばれ 裁縫や編物、口で筆を加えて字を書く そんな芸をしながらそんな身体を見せながら生きていくことだけはできた
でも彼女の心は、生きる喜びや希望が全くなかった
いろんな優しい人が声をかけ励ましてくれたり偉いお坊さんのお話を聞いてみたりしたけれど何の救いにもならなかった
立派な肩書きを持った宗教家でさえそれは前世の業じゃ あきらめなさい 辛抱しなさいと教えられるばかり
彼女を救ったのはある集会に出た時、隣にいた女の人がこんな声をかけてくれた
お念仏なさいませ 一切は阿弥陀様にお任せするのです どんな時でも阿弥陀様は抱きかかえてくださるのです
ナンマンダブナンマンダブと
お念仏させていただきましょう
にこやかに笑みを讃えながらその方は彼女にお念仏を進めてくださったのです
その時のことを久子さんは次のように描き表しています
その言葉はまさに干天に慈雨でした
長い間土の中に埋もれて埋められていた1粒の小さい種子がようやく地上にそっと出始めた思いがしました
そして幼い日に抱かれながら聞いた祖母の念仏の声が心の底にはっきりと聞こえたのです
そうだお念仏をさせていただきましょう
そして阿弥陀様に全てお任せ申し上げよう
ようやく真実の道が細いながら見出せた思いがいたしました
このことをきっかけに彼女は当時名だたる念仏者と言われた先生方に教えをこい念仏の道を深めていった
人の世の悲しみを いやと言うほど味わい
自らの境遇を恨み続けてきた彼女でしたが今初めて手足のないこの過酷な人生こそがお念仏の御教えに出会うための尊いご縁であったのだと心の底からうなずくことができたという
そんな彼女の生き方は世の人々の感動を呼び各方面から講演を依頼されることが多くなってきました
47歳の時、見世物芸人の生活に別れをつげ以降72歳で亡くなるまで婦人会 母の会 学校 刑務所 お寺など請われるままに全国各地で講演活動を続け多くの人々の心に喜びと感動の灯をともしていった
念仏の教えに出会えた彼女はその生きる喜びを多くの歌に残した
その一つに
先の世にいかなる罪を犯せしや
拝む手のなき我は悲しき
手もなく 足もなく そんな深い業の持ち主であったればこそ私はみ仏のお慈悲に合わせていただくことができました
もし私にわがままが許されるのであれば拝む手が欲しいのです
救われていく喜びを表す手が欲しいのです
右手左手両手を合わせてお礼を述べたいのです
という歌です
そして彼女は自らの人生を振り返り
良き師 よき友に導かれ かけがえのない人生を送らせていただきました
今思えば私にとって一番の良き師よき友は
両手両足のないこの体でした
と語っています
中村尚子さんは京都西陣でも十指に入る仕立て職人となり書家としてもその名を高くした
両手両足のない少女に その自立してあまりある技を身につけさせたのは 本当に厳しく厳しくそんな我が子を育てた母親も素晴らしいと思う
中村尚子さんは後にヘレンケラーと対面しておりヘレンケラーから「私よりも不幸で私よりも偉い人」と言わしめている
生き辛い世の中 人間であることを感謝して生きてみよう
愛犬withと中村尚子さん
全く違った視点になるが 2つの命から改めて感じること
やっぱり人間であって良かった
人間ってすばらしい
27歳の生きることに苦しんでいる女の子
辛くても苦しくとも自分が人間であることを感じて生き続けて欲しい
電話もらった時 不在であったのでこちらから電話を返した
あなたは、わぁまた電話をくれたんだ!とほっとしたように喜んでくれた
それだけで良い ほっとして安心してくれればいい ほんの気持ちであなたを見つめる人が1人2人必ず増えていく
人間って泣いたり苦しんだりするけれど ほっとして温かい気持ちにもなってくれる、やっぱりあなたも人間だよね