どうしようもない能力の差がある事
こんばんは甚平です
こんな仕事をしているとよく分かる事がある。
人には持って生まれた能力の差がある。
キビキビした学生がやってきて明日はキャノンの役員最終面接なんです。役員面接対策をお願いします。なんて言われるとこっちが緊張してしまう。ハキハキしていて話す内容もP筋が通っている。自分で自分の将来がしっかり描ける青年だ。面接課題が難しければ難しいほどそれを楽しんで積極的にチャレンジしていく。考えようとする。こういう姿勢がある人を能力がある人と呼んで差し支えないでしょう。
対して マイナスの塊のような人が来る。今まで何もやっても長続きしなかった。いつも人間関係が悪くなり嫌われてしまう。これからどうしたらいいんでしょう。不安定な境遇や職歴そのものを能力がないとは言いたくない。問題はその考え方だ。自分に自信がないのでいつも何かを避けている。仕事内容は出来る限り人と接しなくて簡単で飽きが来ない仕事が条件。何かを求めて学んで高める事はせず難しい事は避けて通ろうとする。これでは能力が蓄積できるわけはない。
会社員、 管理職はヒューマンマネジメントをマスターしておくことが要求される。
それによると人それぞれ個性がありそれぞれの役割 役立つポイントが必ずある。それを引き出し チームとして組み合わせた時、総合力が発揮できる。人それぞれの長所を伸ばすことが管理職の役割。
てなことをいわれるがこれは理想。時間に追われる毎日の業務で、どうしても
仕事ができる奴 仕事ができない奴の差が目についてくる。
ちなみに僕たちの仕事はルート営業部だった。
その地域の担当セールスの営業計画の達成未達成が一目瞭然。
配置換えをしてもできるセールスの担当したところは数字が必ず上がってくる。
その人間はより大きな地域 より大きな仕事を任され昇進につながる。
部署移動の全国転勤では、上司はできるセールスをできる限り抱え込み 手元におこうとする。
かくして
伸びるやつは伸びる。できないやつはできない。ひとりひとりをフォローして伸ばしてやる事は限界がある。能力の差は歴然だ。忙しい管理職はこう考えるようになる。
課長になった が、
部下は15人。エリアごとの担当だ。東京大阪とか大市場は優秀なセールスを担当に。
東北 北陸 山陰等は入社年度の若いセールスか歳をとっていても数字の上がらないセールスを充てる。
僕はできない人には冷たかった。
自分より年上、でも数字の上がらない人がいた。
同行してみる。話に明るさがない。ただ真面目。醸し出すふいんきに元気がないのだから販売数字があがるわけがない。
過去は商品のアフターメンテナンスを担当していた人。営業は不向きな性格でなぜ営業部に回されたのかわからない。
〇〇さん 長ったらしい話をしてちゃだめだよ
もっと商品のポイントを店にわかりやすく説明しなきゃ。話は短く、早めに切り上げて効率よくもっとたくさんの店を巡回しないとダメだ。なぜ出張に代えのズボンまで持ってきてるのか。スペアは下着靴下ハンカチ位で もっと荷物を小さくしたほうがキビキビ動けますよ。
なんて一つ一つを腹立たしく思い注意不平不満ばかり、他の人間 課全体に対しても同じような悪いところばかりが目につきそんな自分自身にもイライラしていた。自分がいつも不機嫌であることが当たり前になり、それは できない人間が周りに多いせいだと他責にしていた。
でもある時、ハッと気がつく。
言葉は悪いが
能力の低い人、スピードが出ない人、考えの浅い人、できない人はいっぱいいる。
でも、そのおかげでたいした能力、取り柄もないこの程度の自分が課長をさせてもらっているのだ。できる人間が周りに少しでもいたら俺程度の人間はすぐ埋もれてしまうだろう。みんなのおかげで地位が与えられ、給料もアップされている。つまらないことだがこれに気がついた事 それで 何が変わったか。
徐々にではあるが大きく流れが変わった。
人に感謝する気持ちが生まれた。その人の存在そのものを認められるようになった。こんなバカな自分によくついてもらっていると思えるようになった。
人や物への不平不満 あら探しから 何を見ても
その存在が認められ自分の心が落ち着くようになった。
自分が 気持ちが穏やかになったこと。これが大きかった。
課内のふいんきも良くなった。メンバーと明るい会話がはずむようになった。
そんなに売り上げが爆発的に増大したわけではない。
だけど本当に仕事が楽しくなった。
人によって自分は生かされている
能力の差 性格の違い 合わないもいるだろう。でもそれがすべて認められた時、自分が今、ここに、存在させてもらっていることに気づいた。
人はやっぱり社会の中の生き物なのだ。